審良研について

今年、医学博士の学位を取得する事ができ、光栄な事に併せて今年度の優秀賞も頂きました。

ここで審良研究室での研究生活を振り返らせていただく機会を頂きましたので、院生としての生活を記させて頂きます。

桜の花が丁度満開の頃、最初にこの研究室を訪れました。今でも面接の際に教授室で審良先生と話をした内容を鮮明に覚えており、当時免疫学について知識の乏しかった自分と審良先生との会話があまりにもかみ合わなかったことが、自分でも滑稽でした。免疫学に対する知識が全く無い中にして、私の研究生活はスタートを切りました。
当時、一緒に博士課程に在籍していた松下さんと二人で、片っ端から自然免疫に関与すると考えられる遺伝子のノックアウトマウスの作製を行いました。ES細胞を用いたノックアウトマウスの作製はその実験の段階毎に細かなテクニックが必要なのですが、試行錯誤して行っているうちにコツを掴んで、上手くマウスが産まれてくるようになりました。
しかしながら、それらの作製したマウスを用いて解析を行ってみるものの、中々思ったようなphenotypeが出ずに、ノックアウト作製→解析→non-phenotypeを繰り返すという苦しい毎日が何ヶ月も続きました。周りの先輩達は各々のphenotypeを出して実験を進めている一方で、自分だけ同じ所にずっと取り残されているというジレンマに苛まれました。そんな折に、河合先生にこの状況の話をしていると、先生も自分の過去を振り返られて、「実験は忍耐」だから、こういう時にこそ論文を一報でも多く読んで本当に当りを引いた時に、理論立てて実験を進められる様に知識を蓄えて置く事が大事だと喝を入れられ、ノックアウトを作製すれば簡単に当たりが出て論文になるという自分の研究に対する甘さを認識したことを覚えています。

そんな負のサイクルを彷徨っている中、博士課程の三回生に上がった四月頃だったでしょうか、転機は突然訪れました。徒然なるままに解析を行っていると、いつもとは違う結果が出てきました。その時は使用した細胞の調子が良くなかったのか、もしくはリガンドを入れ忘れたのかしたのだろうかと思って気にも留めませんでしたが、数日後に再び同じ実験を行ってみると、前回と同じ結果が得られました。2回同じ結果が得られたのですが、長く苦労した時間が私にpositive dataを信用させなくしたのか、再度、細胞の調製からやり直したり、リガンドを作り直したりして、そのphenotypeが本物であると確信できるまで同じ実験を結局4度行いました。それからというもの研究環境は劇的に変化し、一歩、さらにもう一歩と掘り下げた実験を行い、気が付けば時計が2時、3時を回っている毎日を過ごしていたのですが、免疫学の面白さに片足を突っ込み始めていた私には、疲れるという事よりも、次の結果が楽しみで仕方ありませんでした。同じ様に実験の面白さに魅せられる学生は少なくなく、同期の三宅さんも毎日同じ様に真夜中まで実験をして、お互いの実験で停滞して止まってしまっている箇所や、自分に足りない知識について相談しあい切磋琢磨して埋めあう毎日でした。

結果が出始めた頃からでしょうか、私が一人で使っていた部屋に毎日、一日何回も審良先生の方から来て頂いて、実験の結果や次何をしようとしているのかについて直接尋ねてくださり、こちらもそれに答えようと必死で実験しました。傍から見たら教授と院生のただの会話かもしれませんが、長期間沈んでいた私にとって、この毎日のやりとりが実験に対するモチベーションを上げるための何よりも刺激の強いリガンドでした。

その様にして実験を進める中、ある一つの壁に当りました。。。
研究を進めるにあたり英語を扱える能力が必要不可欠なのですが、この事を改めて認識させて頂いた機会がありました。元々、英語を苦手としていて、なかなか自発的にnativeな英語に触れない私を審良先生は気遣ってくださったのか、まだ論文もまとまっていない段階である私をイギリスで行われた国際学会に送り込んでくれました。正直、英語が怖くて外国の方と接触を持つことすら避けていまして、実際にその学会におきましても、思った通りに人とcommunicationが取れずに、ホテルで毎晩落ち込み、自分の現在の英語能力は皆無であるという事を自覚しました。しかしながら、今思えばこの審良流ショック療法がきっかけとなり、能動的に英語に触れていこうと意識が変わったturning pointだったと思います。そして、IFReCに移行してからというもの、研究室には大勢の外国人研究者が増え、普段から英語に触れる事が出来る非常に良い研究環境に変わりました。やっと普段の会話程度が出来るころになった頃でしょうか、今度は、審良先生は国際学会でのoral presentationの機会を私に与えてくださいました。前日は緊張して心臓が飛び出そうになったのですが、死に物狂いでなんとか切り抜ける事ができ、発表後に席戻る途中に審良先生が「荘ちゃん、○やで。」と笑顔で声をかけてくれた事が凄く自分にも励みになりました。最近では、中国からの留学生と一緒に英語を用いてやりとりをし、何とか実験を行っています。当初、英語が聞こえてくると完全に耳が塞がってしまっていた私なのですが、審良先生に段階を踏んで数々の貴重な体験をさせて頂いた事がきっかけとなり、この数年で最も意識が変わったことの一つであると思われます。

審良先生だけでなく、スタッフの先生と院生との仲が非常に近い事が、このラボの長所だと思います。実験が上手く行かずに落ち込んでいる時には、タイミングよく私のプラッテに植松先生が来てくれて、馬鹿話をして落ち込んだ気分を紛らわしてくれたり、気がたるんでいる時は河合先生が来て喝を入れてくれたり、辛い時には石井先生が来てくれて褒めて調子に乗せてくれたり、論文を読まずに実験ばっかりしている時には、斉藤先生が来てくれて新しい論文の話をして刺激を与えてくれたりします。直接指導していただいている竹内先生も、私が納得いく結果が出るまで、徹底的に付き合ってくれます。この仲の良さが私のこのラボの誇れる点であり、こういう人間関係の中で互いに意識しあい競い合っている所が、研究室全体のproductivityに繋がっているのだと思います。

日々の実験ですが、竹内先生と二人三脚でああでも無いこうでも無いとdiscussionをし、真夜中まで試行錯誤して様々な実験をしながら、それでも中々良い結果というものは得られません。十手に一回の頻度ならまだしも、十五,二十手とアプローチを変えながら、やっと一歩前進するというのが現実ですが、今では一歩進んだその瞬間が楽しみで、日々叩き出されるnegative dataと顔を突合せ、次に一歩進めるために実験をして、非常に濃度の濃い一日を送っています。 

現在では、海外の研究室の先生とcollaborationしたり、研究室に賢く面白い後輩も大勢入ってきたりして、刺激に満ち溢れた研究室生活を送っています。博士研究員として、もう少しここで実験させて頂けることになったのですが、この延長戦が今後の自分の人生をどう楽しく、そして刺激的に変えてくれるかが、現在の楽しみです。

最後になりましたが、この博士課程で御世話になりました研究室の皆様や外に出られて研究をがんばっておられます山本先生や加藤先生、いつも的確なアドバイスをして頂けます竹内先生、そして常に温かく見守ってくださっています審良先生にこの場を借りて御礼を申し上げたいと思います。

佐藤荘

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